努力の矛先を間違えると遠回りする例
ネットを徘徊していると次のような記事が話題になっている事を目にしました。
T_ritama’s diary様より引用
長期間の不登校とそれによる鬱でたくさんの自殺未遂を繰り返した後、偏差値35の高校に進学した私は大学受験とは無縁の生活を送っていたが、偶然良い友人に出会い大学受験を決意する。 センター試験受験者が3人、
分数の足し算が出来ない生徒が過半数という高校であったので、独学で血のにじむような努力をして受験した。 が、足切りにかかった。
後期試験は受けるつもりはなかったが、「せっかくの機会だから経験増やすためにも受けたら」と親に強く言われ、地方底辺レベルの国立大を受験、合格した。ここで親の態度が急変して「受かったのだから通え」と主張され、私は浪人するつもりでいたので親ともめた。
当時親は新興宗教にズブズブであったので、教祖から頂いたありがたいお言葉である「頭のいい大学は犯罪者を養成するのでダメ」を繰り返し言うのみで話にならず、口論(という名の罵倒を浴びせられるのみ)をしたのち勘当されてしまった。家を追い出され、独り身となった浪人生活が始まった。
そこから一人でバイトして予備校に通い、大学に合格するも奨学金や授業料免除が取れないから休学して稼ぎ直すそうです。
その苦労などを色々書き綴っていました。
釣り記事?
正直この記事を読んでの感想は「本当かな?」と思うくらい怪しい感じがします。 本文にはアレコレ書かれていましたが、親が何故新興宗教にハマっていて「頭のいい大学は犯罪者を養成するのでダメ」という理由が述べられていないからです。
新興宗教が「ここの大学は頭がいい」「地方の国立大学は頭が悪い」 という明確な線引をするわけありません。
あっても「大学進学は犯罪者を養成するのでダメ」という教義、もしくは所持する宗教大学への進学を勧めるわけです。
この記事の執筆者自身が受かった大学を「底辺」とか「あたまが良くない」とか勝手に思い込んでいるだけで、親が浪人希望を許してくれないから「新興宗教にハマっている」という解釈をしたように見えます。
もし本当にそんな親がいたのなら「頭のいい大学は犯罪者を養成するのでダメ」という言葉の意味の真意を知ろうとするはずです。
親が悪い・子が悪いという短絡的な結論は出来ませんが、コミュニケーション不足が問題なのが見て取れます。
授業料免除について
親の考えや事情を話し合った結果、親の手を借りず自分で生きる道を選ぶのも間違いではありません。
ただ、親から自立した1人の大人として大学に通うなら授業料免除が受けられないのは当たり前です。
それをどうこう言うのはおかしいと思います。
その理屈が通るならみんな一時的に親との縁を切ればいいわけですから。
親に関係なく完全平等なのは義務教育までです。
大事なのは何をしたいか
この著者は一人で大学に行こうと相当頑張っている事をアピールしていますが、大学を出て何をしたいのでしょう。
大学院受験を目指しているそうですが、それなら大学は何処でもかまわないわけです。
地方の国立大から東大大学院に進学する人だって珍しくありません。
親の手を借りずに独立してやっていくのも立派な事ですが、その努力を親とのコミュニケーションに向けたり、地方の国立大学で難関大学院受験を目指して勉強したほうが生産性は高かったはずです。
そう言い切れるくらい若い頃の1年は大事だと思います。
アルバイトも社会経験にはなりますが、将来やりたい職種に関係ないアルバイトは程々にすべきです。
成功する人は「将来どうなりたいか」をイメージして、そこへの道を逆算して努力しています。
この記事の作成者のように、「行きたい大学にこだわりました」、「でも大学院に進学したいです」だと回り道をしていますと言っているようなものです。
自分の人生なので好きに生きればいいですが、努力の矛先を間違えないように将来プランを立てて欲しいと思います。